すべての人たちが心の中にある
好奇心と情熱に導かれるままに、
最大限に自分らしい可能性を
開花させて生きられる世界を創りたい。
誰もが自分の存在を尊び、
人生の主人公として生きることに
喜びを感じる未来を切り拓きたい。
「SPACE」が叶えたいのは
そんな未来の世界です。
自分を形作る認知特性や興味関心などの指向性を把握し、個別最適な学びと仕事を導くシステムを提供します。不登校や引きこもり、うつ病といった社会問題は、学びと仕事の場で起こっている個人と環境のミスマッチに起因していることがほとんどです。こうしたミスマッチを解消し、個人の力が最大限に活かされる世界の実現を目指します。
今年度は下記において
実証を行なって参ります。
1981年、兵庫県姫路市生まれ。熱血教師の母の姿を見て、人の人生に影響を与える先生という職業に憧れて育つ。2006年、東京大学先端科学技術研究センターの交流研究員を経て、東京大学大学院博士課程に進学。心のメカニズムを探るべく認知能力(モノの捉え方)についての研究をするも、自身の体調を崩したことをきっかけに、日々の食の重要性を再確認する。2012年からは「豊かな心は、楽しい食卓から」をモットーに、「種から育てる子ども料理教室」を主宰し、カリキュラム作成および運営に携わる。2013年、東京大学先端科学技術研究センターに戻り、農と食から教科を学ぶ「Life Seed Labo」を立ち上げ、活動をベースとした学びの可能性を体現する。2014年12月、「異才発掘プロジェクトROCKET」のプロジェクトリーダーとして、プロジェクトの立ち上げから運営まで全般を指揮。その間、探究カリキュラムの開発をするとともに、ユニークな子ども達に寄り添って一人一人が活かされる環境作りをプロジェクト内で実現する。一人ひとりを生かす個別最適な探究的学びの設計における知見を生かして、2020年8月にSPACEをスタートさせる。
1979年愛知県名古屋市生まれ。産業医。医学博士。歌人の祖母の姿を見て、言葉の力で人を幸せにする職業に憧れを持つ。2005年東京医科大学医学部卒業、2012年博士課程終了。2014年より東京大学先端科学技術研究センター特任研究員に就任し「異才発掘プロジェクトROCKET」を担当。患者が自身の力で治る包括的医療の実践をモットーに、ヤフー株式会社の統括顧問として健康経営や障害者の就労支援、眼科医としては様々なフィールドで視覚障害者の情報ケアを実践。医師としての活動の他、神戸アイセンター病院情報支援空間のコンセプトディレクターを務める等、医療、福祉、産業保健の領域を超えて幅広く活動している。性格・学習特性に起因するメンタル不調の労働者が、自分らしく生き生き働くための支援ツール開発を決意し、株式会社SPACEの創業メンバーとなる。
1980年愛知県名古屋市生まれ。厳格な家庭のルールに反発し中学2年から新聞配達と建築アシスタントを兼務して生活費を稼ぐようになる。高校2年で米国留学するが、就業環境への興味から現地の高校を3日で休学しメキシコ系移民と共に農場に勤務。重機や飛行機を使った生産性の高い大規模農業の面白さと、人種差別・銃器・教育格差など米国の社会課題を実感する。帰国後、アパレル・貴金属の製造卸を始め、メーカー経営、コンサルティングファームを経て株式会社 Life Design Applicationを創業。企業・公益法人・行政に向けた指導者育成システムの開発や大規模なマネジメントプロジェクトを推進する傍ら、シード期のベンチャー企業を支援する活動を続けている。自身の原体験から個別最適な教育・就業機会の拡大を目指し、2018年9月東京大学先端科技術研究センターと共催で25歳以下のビジネスコンテスト「MAZERU」を開催。2020年8月それぞれのフィールドで「学び」に向き合ってきた福本、三宅と共に株式会社SPACEを創業。
2019年6月よりソーシャル・インベストメント・パートナーズ(SIP)の代表理事兼CEOに就任。2013年から2018年まではKKRキャップストーンのマネージングディレクターとしてKKRの投資先企業の成長と変革を支援。それ以前はマッキンゼー・アンド・カンパニーのパートナーとして、製造業やサービス業の企業における業務改善やグローバルマーケティング戦略策定と実行のコンサルティングに12年間従事。ZSアソシエイツにて製薬・医療サービス企業のコンサルティング、グローバル・フレイト・エクスチェンジにおいて航空貨物の取引用ITサービス、ゲートウェイ・ジャパンにおいてオンラインセールスや経営企画を担当。カリフォルニア工科大学にて化学の博士号。
1972年、北海道生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。大学院在学中の1997年に三木谷浩史氏と共に楽天株式会社を創業し、取締役副社長を務める。2002年に退任後、株式会社音別を設立し、「教育」をテーマに活動を始める。横浜市立東山田中学校長や学校法人東京女学館理事を歴任するなど、現場と経営の視点で活動した。2009年より軽井沢町で野外保育・信州型自然保育の運営と保育に携わる。2019年10月に学校法人軽井沢風越学園設立、理事長就任。2020年4月、12年間の幼小中混在校として軽井沢風越幼稚園と軽井沢風越学園を開校する。2018年10月から軽井沢町教育委員も務めている。
学校法人堀井学園 横浜創英中学・高等学校 理事・校長
東京理科大学理学部応用数学科卒業。公立学校教員、東京都教育委員会、新宿区教育委員会教育 指導課長、千代田区立麹町中学校校長をへて、2020 年 4 月から現職。麹町中学校在職中、学校運営に全教職員・生徒・保護者を当事者として巻き込みながら、形骸化した教育活動をスクラップし、再構築した。宿題や定期考査の全廃、固定担任制の廃止、服装頭髪指導の廃止などを行う。現在、 経済産業省 「未来の教室と EdTech」研究会委員 内閣官房教育再生実行会議委員なども務める。
12歳からA.S.ニールのサマーヒル・スクールへ留学。舞台芸術専攻、大学卒業後はロンドンのカルチュラルプロジェクトに多数携わる。帰国後は東京大学先端科学技術研究センターと日本財団主催「異才発掘プロジェクトROCKET」、角川ドワンゴ学園(N/S高等学校)などで、体験を通した教育プログラムの開発を実践してきた。出会いを通して人が変化していく過程を作ることに関心を持っている。
TOPPAN(株)で浜名湖花博覧会、企業博物館など、スペースデザインを通じて教育啓蒙につながるプロジェクトに携わる。後に、省庁の音声翻訳技術の社会実装、観光、地方創生で新規事業立ち上げを経て、忙しいビジネスマンの心身を健やかに、地域の自然資源を活用したヘルスツーリズム研修を開発。大人だけでなく、地域の中に子どもの学びの視点を入れて生かせたらという発想から、SPACE創業期に、国立公園の自然を舞台にした「宝島キッズラーニングプロジェクト」を立ち上げるご縁をいただく。かまくらULTLA、STEAMライブラリーコンテンツ開発等に携わる。自然のめぐりの中に身を置き、ヒトの身体と意識の変容、調和を祝福し続けたい。
子供の頃にガールスカウトとして活動した経験から、生まれた境遇や自分の能力とは関係ないところで人生が決まってしまう世の中に疑問を持つようになった。中学生の頃から、「誰もが幸せに生きられる世の中にしたい。そのために教育が重要だ」と考えていたが、何をすれば良いのかが見つからずに就職し、転職を繰り返した。2012年から東京大学先端科学技術研究センターにてDO-IT Japanの小・中学生プログラムを担当し、学習に困り感を持つ子ども達に対するICTを活用した学びの支援や環境調整などに取り組んできた。この仕事がきっかけで、子どもの多様な学び方や多様な学び場に興味を持ち、ライフワークになった。
美術大学建築科を卒業後設計事務所で働く。子どもを授かったことをきっかけに子育てに専念。育児中に学んだヨガをきっかけに子育て支援や障害を持つ方に関わるようになる。ベビーからキッズ、またハンディキャップを持つ多くの方々と関わりながら、命の尊さを実感。地域では障害を持つ親子の居場所づくりの立ち上げに関わりサポートしている。興味関心は多岐に渡り、自ら行動しそこで繋がるご縁を大切にしているうちに、多種多様なな活動へ参加することとなる。誰しもが笑顔で暮らすために何ができるのかを日々考えながら、私自身も自分らしいとは何かを追求している。